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2017年12月25日月曜日

Glen Campbell - By the time I get to Phoenix

こんばんは、古い音楽をお届けする音楽文章ラジオのお時間がやって参りました。進行は、名久井翔太です。どうぞよろしく。

今日はクリスマス、そして今年最後の月曜日です。

クリスマス、という事ですが、私が、私のために買ったクリスマスプレゼントが今日届きました。

ザ・アソシエイションの2005年のライブDVD『The Association Pop Legends Live』です。

その時のメンバーは以下の通りです。

•ラリー・ラモス (Larry Ramos, lg)
•ラス・ジゲアー (Russ Giguere, percussion)
•デル・ラモス (Del Ramos, b)
•ポール・ホランド (Paul Holland, rg)
•ボブ・ワーナー (Bob Warner, lg)
•ジョーダン・コール (Jordan Cole, k)
•ブルース・ピクター (Bruce Pictor, d)
 
そして曲順は以下の通りです。

1. Just about the same
2. Windy
3. Everything that touches you
4. Years of trying
5. Six man band
6. Never, my love
7. One too many mornings 
8. Walk away, Renee
9. No fair at all
10. Enter the young
11. Cherish
12. Along comes Mary

3はドラムスのブルース・ピクターがリードボーカル、そしてジム・イエスター作曲の9はラス・ジゲアーがリードボーカルでした。

ラリーがこの時62,3歳、ラスも61,2歳ですが、あまり年齢を感じさせずに高らかに歌い上げていました。ただ、7は歌詞を忘れたのか、2番を繰り返し歌っています。

4のYears of tryingですが、YouTubeで聴いたのとバージョンが違います。同じ曲で違う作者なのかが不明です。

9のNo fair at allは、前述のジム・イエスター作曲です。元歌もジムがボーカルを取っていますが、3のEverything that touches youでドラムスのブルース・ピクターがリードボーカルだった流れを考えて、またブルースがボーカルを取るのかと思いきや、今度はラス・ジゲアーが取るので驚きました。

7のOne too many morningsは、バンドメンバーの紹介をしました。

素晴らしい演奏だったと思います。ボーカルの厚みもありますし、充分満足しました。

随所で、ラス・ジゲアーとラリー・ラモスによるインタビューが収録されています。

見つけたら買いです。

では洋楽和訳のコーナーです。

今日の洋楽

今日は、今年亡くなったグレン・キャンベルで、「恋はフェニックス」です。




ジミー・ウェッブ作曲です。1967年のシングルで、ホット100で26位、カントリーチャートで2位を記録しました。オリジナルはジョニー・リヴァースです。

グレン・キャンベルこと、グレン・トラヴィス・キャンベルは1936年4月22日、アーカンソー州パイク郡ディライト生まれのカントリーシンガーです。幼い頃にギターを習い、1954年に叔父のバンドのディック・ビルズ&サンディア・マウンテン・ボーイズに加わります。

1960年にロサンゼルスに移り、スタジオ・ミュージシャンの傍ら、自分でもシングルを出します。

スタジオ・ミュージシャンの方は、まず一時期、「テキーラ」でお馴染みザ・チャンプスに参加し、それをきっかけに、西海岸で腕利きのスタジオ・ミュージシャンを集めたレッキング・クルーに参加し、エルヴィス・プレスリーやモンキーズ、ボビー・ダーリン、ナンシー・シナトラなど、錚々たるシンガーのバックを努めます。また、ツアーに参加しなくなったビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンの代役として、ベースや高温のコーラスを担当してます。

ソロアーティストとしては、1961年に出したシングル「ヴァリー・オブ・デス」でソロデビューしますがヒットしませんでした。クレスト・レコードから出した次のシングル「ふり返った恋」はホット100で62位を記録しました。

1964年にテレビ番組「シンディグ!」や「ハリウッド・ジャンボリー」にレギュラー出演し、徐々に知名度を上げていきます。

1967年にシングル「ジェントル・オン・マイ・マインド」がホット100て30位を記録する、グレン・キャンベル最初のヒットになりました。その後も「恋はフェニックス」を始め、「ガルベストン」「ウィチタ・ラインマン」「アイ・ウォナ・リヴ」などヒットを連発しました。

勢いはとどまる事を知らず、1969年から3年間、テレビ番組「ザ・グレン・キャンベル・グッドタイム・アワー」の司会を務めます。

1970年代に入ってもその人気は衰えず、シングルでは「ラインストーン・カウボーイ」「サザン・ナイツ」「サンフラワー」などをヒットさせています。

2005年にカントリー・ミュージック殿堂入りを果たします。

2011年にアルツハイマーにかかり、2014年に施設に入ります。

2017年に、2012年から2013年までに録りためていた曲を収録したアルバム『アディオス』を発表した事で話題になりました。このアルバムが遺言になったかのように、8月8日、81歳で亡くなりました。

では「恋はフェニックス」の和訳をご覧ください。

By the time I get to Phoenix

She'll be rising

She'll find the note I left hanging on her door

She'll laugh, when she reads the part that says I'm leaving

Cause I've left that girl, so many times before


僕がフェニックスに着く頃までに、

彼女は目覚めるだろう。

ドアにかけた書き置きを見つけるだろう。

「出て行く」という一文を見たら、彼女は笑うだろう、

僕は随分前に、その女の子を置いて行ったから。


By the time I make Albuquerque

She'll be working

She'll probably stop at lunch,

And give me a call

But she'll just hear that phone keep on ringing

Off the wall, that's all


僕がアルバカーキに着く頃、

彼女は働きに出るだろう。

昼の休憩で、

僕に電話をするだろう。

でも、電話に出ないのを彼女は聞くだろう。

ずっと鳴ってるだけ、それで分かるだろう。


By the time I make Oklahoma

She'll be sleeping

She'll turn softly and call my name out low

And she'll cry, just to think, I'd really leave her

Though time and time I've tried to tell her so

She just didn't know,

I would really go


僕がオクラホマに着く頃、

彼女は寝てるだろう。

寝返り打つ時、僕の名前を小さく呼ぶだろう。

何度彼女に伝えようとしても、

彼女は分からなかった。

僕は行くだろう。


こんな感じです。


男女の別れを描いた歌です。


今日はこの辺でお時間です。洋楽和訳のリクエストございましたらコメントくださいませ。


ではまた。

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