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2016年2月3日水曜日

Buddy Holly - Crying, waiting, hoping

こんばんは、名久井翔太です。

今日は久々に長尺でお送りしますので心して読んでくださいね。

さてさて、今日2月3日は何の日でしょう。節分の日。鬼は〜外、福は〜内っつって豆を投げたりしますね。のり巻きの日。確かに最近は恵方巻き何つって毎年変わる恵方の方角に向かって恵方巻きを1人1本、食べ終わるまで無言で食べると縁起が良いとされていますね。今年は南南東でしたっけ?方位磁石使わんと分からん。でも今日は鬼退治や巻き寿司の話はしません。

アメリカ合衆国、特にロックンロールにおいて、2月3日というのは大変衝撃的な日でもある訳です。どんな日かって言うと、「音楽が死んだ日」と言われています。

1959年2月3日、アイオワ州クリアレイク近郊にて、パイロット含む4人乗りの飛行機が墜落し、乗客3人、パイロット1人が死亡する事故が発生しました。

不運な事に、死亡した3人はいずれも当時有名だったミュージシャンで、1人はリッチー・ヴァレンス17歳、ビッグ・ボッパーことジャイルス・ペリー・リチャードソン28歳、そしてバディ・ホリー22歳です。彼らはウィンター・ダンス・パーティーなるアメリカ合衆国中西部24都市を回るツアーの途中でした。

バディ・ホリーは当時のロックンロール界において期待の若手のような存在です。まずはルックス。それまで見られなかった眼鏡をかけたロックンローラーとしてジョン・レノンやエルヴィス・コステロ等に影響を与えています。クリケッツではニキ・サリヴァンももう1人の眼鏡メンバーとして知られています。

次に楽曲。デビュー曲のThat'll be the dayOh, boy!Not fade away等、著名な曲は基本、3コードで構成されています。単純だけど記憶に残りやすい、キャッチーな曲を、しかも自作という点でも影響を与えています。

そして、バックバンドのクリケッツ。メンバー構成についてはThe Crickets - Someone, someone http://british-791.blogspot.jp/2015/11/the-crickets-someone-someone_30.html?m=1 にて書いてますが、ギター2人、ベースとドラムス、合計4人という当時においては非常に少人数のメンバー構成が、ビートルズやサーチャーズなど後続のバンドにおいても影響を与えています。

そしてなによりクリケッツという名前。Cricketはコオロギ。ビートルズが、Beatlesという名前にするにあたって、「俺たちはバディに影響を受けたんだ。じゃあ俺たちも虫の名前にしよう」ってんで、ビートルズにしたといいます。本来、カブトムシはBeetleと書きますが、わざと綴りを間違えて売り出すというのも一つの戦略でもあります。Tremeloes=Tremolo (単音を繰り返し弾くギター奏法)とかByrds=Birdとか。

この様にバディは後続のミュージシャンに多大なる影響を与えたとして、伝説的な存在になっています。

次はリッチー・ヴァレンス。チカーノ系というメキシコ系のアメリカ人で、16歳の若さでLa BambaCome on let's goDonna等を全米チャートに送り込みます。特にLa Bambaは全部スペイン語で歌われていますが、スペイン語のみで歌われた楽曲がチャートインしたのはこれが初めてです。

そしてビッグ・ボッパー。体重130キロということからビッグ・ボッパーと呼ばれていて、DJとしても活動していた彼は、1958年Chantilly Laceという曲を大ヒットさせます。Chantilly Laceというのはウェディングドレスなどに使われる透かしのレースのことです。他にもBig Bopper's weddingをヒットさせていますし、ジョニー・プレストンにRunning Bearなる曲を作ってそれもヒットになります。

その3人のミュージシャンが何故死んだのか。まだまだ続きますよ。今日じゃないと音楽が死んだ日じゃ無いですからね。

当時は3人の他に、カントリーのウェイロン・ジェニングスや、前にこのブログで紹介したディオンもツアーに参加していましたが、移動は全てバス。今ほど暖房設備の性能が良い時代では無いもので、バスの中は冷蔵庫状態。その時バディのバックでドラムスをやっていたカール・バンチは足に凍傷を負う始末。更に、ビッグ・ボッパーは巨漢。だからバスでの移動が体力的にも辛い。そしてバディは清潔なパンツ等を切らしてイライラ。何とも最悪な状況でございます。

その状況を打破すべく練られた案は、なんと飛行機を使うということ。でもチャーターできたのは小型飛行機。そう、パイロット含む4人乗りの飛行機。誰が乗るかはコイントスで決めることになって、そうして決まった3人がバディ・リッチー、そしてビッグ・ボッパーの3人。そして搭乗したパイロットはロジャー・ピーターソン。まだまだ訓練中の新人パイロット。

さらにいうと、2月。この時は吹雪のため、新人のパイロットが飛行機を飛ばす事など普通に考えれば出来ないはずです。もっというと飛んだのは深夜0時55分。とても状況が悪すぎる。

そして無残にも飛行機は2月3日未明にアイオワ州のトウモロコシ畑に墜落、乗客3人とパイロットは全員死亡してしまいました。

この時、ディオンも飛行機に乗るように誘われた、と言われていますが結果的に乗らなかったようです。もし乗ってたら…

事故死、というのはかなり衝撃的だと思いました。ましてやまだまだ若い人達が亡くなるのは無念であります。

あ、そうそう。どうして音楽が死んだ日だっていう風に呼ばれているかまだ話してなかったですね。ドン・マクリーンというシンガーソングライターが「アメリカン・パイ」という曲の中でこの悲劇を音楽が死んだ日っていう風に言ったそうです。

今日は3人の若きミュージシャンの命日、という訳で長尺物の記事でお送りしました。

では今日の洋楽です。

今日の洋楽

今日はバディ・ホリーでクライング・ウェイティング・ホーピングです。


この曲は、実はバディの生前に発表された訳では無いものです。ギターとバディ本人のボーカル録音自体は生前に行われましたが、死後にクリケッツのメンバーのコーラスとギターとベース、ドラムスが被さる形になって世に出ました。

また、このクライング・ウェイティング・ホーピングと同じく、バディの自宅アパートで録音された合計6曲(前に書いたザッツ・ホワット・ゼイ・セイも同じ)はプロデューサーのジャック・ハンセンによってオーバーダブ(元の音源に新たにトラックを追加して一曲にまとめること)されています。この6曲は別名Apartment tapesといわれています。

すんごい長くなっちゃった。では和訳です。

Crying, waiting, hoping you'll come back
I just can't seem to get you off my mind

僕は泣いて、待って、願ってる、君が戻るのを。
君の事が忘れられそうに無い。

Crying, waiting, hoping you'll come back
You're the one I love
And I think about you all the time

泣いて、待って、願ってる、君が戻るのを。
君は僕が愛する人、
いつも君の事を考えているよ。
Crying, my tears keep a-fallin' all night long
Waiting, it feels so useless, I know it's wrong

泣いている。涙が夜通し流れていく。
待っている、けどそんなの無駄だって分かってる。

To keep a-crying, waiting, hoping you'll come back
Maybe someday soon
Things will change and you'll be mine

泣き続け、待ちぼうけて、君が戻るのを願い続けるのは。
たぶん、いつか君が僕のものになる日が来ると思うさ。

こんな感じです。

ビートルズがLive at BBCでジョージ・ハリスンのリードボーカルでカバーしています。

ではまた。

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