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2017年4月29日土曜日

伊丹哲也とSide by Side - 街が泣いてた

こんばんは、古い音楽をお届けする音楽文章ラジオのお時間がやって参りました。進行は、名久井翔太です。どうぞよろしく。

今回は601回目の更新です。これからも沢山紹介したいと思いますので、皆様よろしくお願いいたします。

今日は土曜日、普通であれば私は仕事ですが、今日は昭和の日、という事で祝日です。私は今日も教習所に行っておりました。

自主経路方向変換をやりました。

自主経路は教官から、教習所周辺の地図を渡されて、3つのコースから教官がランダムに選び、ある地点からスタートして、ゴールの所に向かう、というものでした。前々から学科の教習で、「そんなに難しいコースを走る訳ではない」というのを聞いていましたが、本当に簡単でしたね。

ゴールに着いたら適当な所で停める、という所までやりましたが、この「適当な所で停める」というのが重要だ、というのを教わりました。

交差点の中心と、その側端から5メートル以内、またバス停から半径10メートルの所は駐車禁止の場所です。これを踏まえて、「適当な所で停める」という事なんです。そこさえ踏まえておけば、自主経路はクリアという事です。

後は経路設定、例えば何個目の信号でどちらに曲がるかとか、突き当たりで曲がるかとか、なるだけ覚えていられるようにシンプルに設定するという事も教わりました。学科で聞いてるだけじゃなくて実際にやる事で、やはり身につきますね。

後1時間で方向変換もやりました。後退しながら窪みに入って、方向を変えて進むというものでした。

教わったのは、まず車の位置をを入るスペース寄りにしておく。そしてどの位置まで真っ直ぐに下がって、そこからハンドルを目一杯切る、どの位置であれば前後輪が縁石にぶつからないか、そして慎重に後ろに下がる、という事でした。殊の外上手くできたと思います。

また明日もこれを応用した縦列駐車をやります。忘れないようにしないといけません。運転するという事は、必ずどこかに停める事になりますから。

今日は久々に日本の音楽をお届けします。洋楽和訳のコーナーはお休みです。

お忘れですか?このブログのタイトル。「名久井翔太の音楽文章ラジオ」ですよ。洋楽だけじゃありません。たまには日本の音楽にも目を向けましょう。

今日は邦楽

今日は伊丹哲也とSide by Sideで、「街が泣いてた」です。




伊丹哲也とSide by Sideは、日本のバンドです。

リードボーカルの伊丹哲也は、1958年5月25日生まれのシンガーソングライターです。近畿大学を中退して、1980年、伊丹哲也とSide by Sideのメンバーとして、第19回ヤマハポピュラーソングコンテスト、(通称ポプコン、ポップコーンじゃないですよ。笑)これに出場して、「街が泣いてた」でグランプリを獲得しています。

このポプコンには、一昨年末に「下町ロケット」に出演していた世良公則さんも出場しています。デビュー曲「あんたのバラード」でグランプリを獲得しています。

そのほか、世界歌謡祭にも出場しています。1981年10月から5ヶ月間、オールナイトニッポン水曜2部のパーソナリティも務めています。

ただ、このバンドからは、「街が泣いてた」で大ヒットを出した以降は、ポプコンでグランプリを獲得したにも関わらずヒットが残念ながら出ておりません。

現在は、というと、なんとYouTubeに伊丹哲也さん本人のチャンネルがあります。2000年のライブの映像や、2015年に録音した新曲とかも載せていますので、皆様機会がありましたらチェックしてみて下さい。

さて、今回の「街が泣いてた」は、ラジオで聴いてハマった曲です。仕事の休憩中にこの歌を聴いて、よく帰りの電車まで覚えていたな、と自分を褒めてあげたい気分です。笑

YouTubeの全盛期の映像を見ましたが、革ジャンを羽織ってグラサンもかけたライダーみたいな格好に、アコギをジャカジャカ掻き鳴らして、捻るように声を出していました。何処と無く不良な雰囲気ですが、私は物の見事にハマってしまいました。

という訳で今日はここまでです。

洋楽和訳のリクエスト募集中です。ある方は、コメント欄に記入よろしくお願いいたします。

ではまた。

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