こんばんは、古い音楽をお届けする音楽文章ラジオのお時間がやって参りました。進行は、名久井翔太です。どうぞよろしく。
早速、今日の洋楽和訳のコーナーです。
今日の洋楽
今日はビル・モンローで「ケンタッキーの青い月」という歌です。
ビル・モンロー作曲です。1946年のシングルです。
ビル・モンローこと、ウィリアム・スミス・モンロー(William Smith Monroe)は、1911年9月13日、ケンタッキー州ロウジン生まれのブルーグラス・ミュージシャンです。
アイルランドやスコットランドの民謡音楽をルーツに、アパラチア南部で「ブルーグラス」という、現代のカントリーミュージックのルーツ音楽を発展させた第一人者です。
ブルーグラスの基本的な楽器構成はアコースティックギターやマンドリン、バンジョー、フィドル、そしてアップライトベースです。カントリーで印象的なスティールギター等は使われません。エレキギター等が流行る前に流行った音楽スタイルです。上に挙げた5つのどれかが欠けても問題無し、そしてアンプ等が無くたってその場で出来るというスタイルが特徴的です。
(ブルーグラスとカントリーの違いは聴き慣れていないと難しい)
家族全員が音楽に関心が強く、幼い頃からセッションをしていました。既に兄弟がフィドルやアコースティックギターを手にしていた為、ビルはマンドリンを演奏していました。両親が亡くなり、兄弟達が生まれ故郷を離れたのでビルは叔父でフィドラーのペン・ヴァンディバーに引き取られます。(叔父との演奏経験が後に「アンクル・ペン」という曲を作る)
1929年に、ビルの兄弟バーチとチャーリー、そして友達のラリー・ムーアの4人でモンロー・ブラザーズを結成、地元のダンス会などで演奏をしました。ラリーとバーチが脱退、残った二人で活動を続けますが1938年に解散します。そしてケンタッキー州の別名でもあるブルーグラスを冠した「ブルーグラス・ボーイズ」を結成、後にブルーグラスデュオ「フラット&スクラッグス」のメンバー、レスター・フラットやアール・スクラッグスといったブルーグラス界の強力な布陣が揃います。アメリカの人気長寿音楽番組「グランド・オール・オープリー」にレギュラー出演する程の人気を得ます。
時代はロックに移り変わって、商業的成功とは程遠く、なおかつ事故での負傷により人気が落ちますが、地道に活動を続けます。1960年代には、グリーンブライア・ボーイズのメンバーで、ビルのマネージャーにもなるラルフ・リンズラーの影響で、じわじわと人気が出始め、1965年にはブルーグラスフェスが開かれ、ビルは中心人物となります。
後年は数々のアーティストとコラボしつつ、合間を縫うようにツアーを行うという精力的な活動を続けましたが、脳卒中に倒れ、1996年9月13日、84歳で亡くなりました。
ビル・モンローの代表曲です。別れを告げられた恋人を思う歌です。
では和訳です。
Blue moon of Kentucky keep on shining
Shine on the one that’s gone and proved untrue
Blue moon of Kentucky keep on shining
Shine on the one that’s gone and left me blue
ケンタッキーの青い月よ、輝き続けてくれ。
不実に去って行った、俺の恋人を照らしてくれ。
ケンタッキーの青い月よ、輝き続けてくれ。
俺をブルーにして居なくなった、俺の恋人を照らしてくれ。
It was on a moonlight night the stars were shining bright
When they whispered from on high your love has said good-bye
Blue moon of Kentucky keep on shining
Shine on the one that’s gone and said good-bye
それはある月の夜、星も輝いていた。
空高いところから、お前の恋人がさよならを言うのが聞こえた。
ケンタッキーの青い月よ、輝き続けてくれ。
さよならを告げた俺の恋人を照らしてくれ。
こんな感じです。
今日はこの辺でお時間です。洋楽和訳のリクエスト・感想ございましたらコメントくださいませ。
ではまた。
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