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2023年12月28日木曜日

Bobbie Gentry - Ode to Billie Joe

こんばんは、古い音楽をお届けする音楽文章ラジオのお時間がやって参りました。進行は、名久井翔太です。どうぞよろしく。

早速、今日の洋楽和訳のコーナーです。

今日の洋楽

今日はボビー・ジェントリーで「ビリー・ジョーの唄」という歌です。




ボビー・ジェントリー作曲です。1967年のシングルで、全米1位を記録しました。

ボビー・ジェントリーこと、ロバータ・リー・ストリーター(Roberta Lee Streeter)は、1942年7月27日、ミシシッピ州ウッドランド生まれのシンガーソングライターです。

多彩なジャンルの音楽に挑んだシンガーソングライターとしてだけでなく、セルフプロデュース(振り付け、衣装作製等)も行った先駆者です。

生まれてすぐ両親が離婚し、父親と共に、電気の通っていない祖父母の家に移りました。幼い頃に祖母からピアノをもらい、7歳の頃に既に曲を書いていました。

1952年の映画『ルビー・ジェントリー』に影響されて、ボビー・ジェントリーという芸名を自分でつけました。高校卒業後にUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に入学し、哲学を学んでいました。後にロサンゼルス音楽院に入り、作曲理論や作曲・編曲を学びました。

1967年にキャピトル・レコードと契約して、シングル「ミシシッピ・デルタ」でデビューしました。その時のB面曲が「ビリー・ジョーの唄」でした。ラジオ局はこぞって「ビリー・ジョーの唄」をかけて、ヒットしました。大ヒットを受けて、レコード会社はボビー・ジェントリーが録音した12のデモテープを急いでアルバム用に仕立て上げ、デビュー・アルバム『オード・トゥ・ビリー・ジョー』が発売されました。

1970年に6枚目のアルバム『ファンシー』がリリース、ウーマン・リブを訴えた「ファンシー」は全米31位のヒットとなりました。

1971年に自身最後のアルバム『パッチワーク』をリリース、プロデューサーとしてボビー・ジェントリーの名前がクレジットされました。

それ以降は目立ったヒットもなく、自身も創作意欲の減退を感じ、1982年にひっそりと引退しました。それ以降は活動はしていません。

ビリー・ジョー・マクアリスターの投身自殺をテーマにした歌ですが、自殺の話がメインではなく、歌の主人公が家族と食事をしているシーンで出てきた話、という体で話が進んでいきます。

では和訳です。

It was the third of June, another sleepy, dusty Delta day

I was out choppin' cotton and my brother was balin' hay

And at dinner time we stopped and walked back to the house to eat

And Mama hollered out the back door, "Y'all remember to wipe your feet"

And then she said, "I got some news this mornin' from Choctaw Ridge

Today Billie Joe MacAllister jumped off the Tallahatchie Bridge"


それは63日の事、埃っぽくて眠たいデルタの日の事。

私は綿を積んで、弟は干し草を纏めていた。

そして夕食の時間になって、作業を止めて家に帰ったら。

裏口でママが叫んだ、「足を拭くのを忘れないでよ」と。

そして言った、「今朝、チョクトーの丘からニュースが来たのよ、

ビリー・ジョー・マクアリスターがタラハッチー橋から身を投げたそうよ。」


And Papa said to Mama as he passed around the black-eyed peas

"Well, Billie Joe never had a lick of sense. Pass the biscuits, please

There's five more acres in the lower forty I've got to plow"

And Mama said it was a shame about Billie Joe, anyhow

Seems like nothin' ever comes to no good up on Choctaw Ridge

And now Billie Joe MacAllister's jumped off the Tallahatchie Bridge


パパがママに、ブラックアイドピーを手渡しながら言ったわ、

「ビリー・ジョーはセンスが無かったからなぁ、ビスケットをくれないかい?

下の畑で後5エーカーも耕さなきゃならん。」

ママはビリー・ジョーの事を残念に思ってた。

チョクトーの丘の上では何も良い事が無さそう。

ビリー・ジョー・マクアリスターがタラハッチー橋から身を投げた。


And brother said he recollected when he and Tom and Billie Joe

He put a frog down my back at the Carroll County picture show

And wasn't I talkin' to him after church last Sunday night?

"I'll have another piece of apple pie. You know, it don't seem right

I saw him at the sawmill yesterday on Choctaw Ridge

And now you tell me Billie Joe's jumped off the Tallahatchie Bridge"


弟が、彼とトムとビリー・ジョーが、

キャロル郡の芝居で私の背中にカエルを入れた事を思い出した。

それこの間の日曜日の夜の礼拝の後、私が言った事じゃない?

「僕はアップルパイをもう一切れ食べる、なんかおかしいな、

チョクトー丘の製材所で昨日彼を見たんだよ、

でも母さんはビリー・ジョーがタラハッチー橋から飛び降りたと言うんだね。」


Mama said to me, "Child, what's happened to your appetite?

I've been cookin' all morning and you haven't touched a single bite

That nice young preacher, Brother Taylor, dropped by today

Said he'd be pleased to have dinner on Sunday. Oh, by the way

He said he saw a girl that looked a lot like you up on Choctaw Ridge

And she and Billie Joe was throwing somethin' off the Tallahatchie Bridge"


ママは私に言った「あら、食欲はどうしたの?

私朝から料理してるのに、一口も食べやしないじゃないの。

今日は若くて素敵なテイラー神父が立ち寄ったのよ、

日曜日のディナーを楽しみにしてるって、あ、そう言えば、

神父はあなたに似た女の子をチョクトー丘で見たって言ってたわよ、

その子とビリー・ジョーは、タラハッチー橋から何かを投げ捨てたって言ってたわよ。」


A year has come 'n' gone since we heard the news 'bout Billie Joe

And brother married Becky Thompson, they bought a store in Tupelo

There was a virus going 'round, Papa caught it and he died last Spring

And now Mama doesn't seem to wanna do much of anything

And me, I spend a lot of time pickin' flowers up on Choctaw Ridge

And drop them into the muddy water off the Tallahatchie Bridge


ビリー・ジョーの知らせを聞いてから1年が経った。

弟はベッキー・トンプソンと結婚して、テュペロで店を開いた。

伝染病が流行って、パパは去年の春に亡くなってしまった。

ママは今、何もしたくないらしい。

私は、チョクトー丘で花を摘んで時間を潰して、

そしてタラハッチー橋から泥水に向かって投げているのよ。


こんな感じです。

今日はこの辺でお時間です。洋楽和訳のリクエスト・感想ございましたらコメントくださいませ。

ではまた。

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