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2016年10月26日水曜日

Leadbelly - John Hardy

こんばんは、古い音楽をお届けする音楽文章ラジオのお時間がやって参りました。進行は、名久井翔太です。どうぞよろしく。

早速、洋楽和訳のコーナーでありんす。

今日の洋楽

今日はレッドベリーでジョン・ハーディーという歌です。


去年にも紹介した歌ですね。

トラディショナルといって、伝承曲ともいいます。誰が作ったのかは不明ですが、それでも昔から多くの人に歌われている歌を指します。

レッドベリーこと、ハディ・ウィリアム・レッドベターは1888年1月23日にルイジアナ州ムーリングスポートに生まれました。日本では明治21年です。

レッドベリーの生年についてはいろいろと議論がなされていて、1885年だったり、1889年だったりします。当時のアメリカでは黒人差別が色濃かったというか、きちんとこの日だという届けがないというか、とにかく色々な説があるんです。

15歳の時には地元では少し知られたミュージシャン。しかし1918年、親戚を喧嘩で殺害してしまい、刑務所行きになります。35年の刑罰が科せられましたが、レッドベリーの刑務所内の行いの良さ、さらには州知事に、自分の釈放を懇願する歌を披露して、なんと2年で解放されます。

しかし1930年には、殺人未遂の罪で刑務所戻りに。3年後に、アランとジョンのロマックス親子と出会い、レッドベリーはその親子に見出され、さらにはロマックス親子は早期釈放を陳情されて、またもや短い刑期で解放されます。

1934年にはロマックス親子とニューヨークに渡り、レコーディングを開始します。そこでは名声は得られたものの、富を得ることはありませんでした。既に妻子ある身だったレッドベリーは、それでも家族の生活のために奮闘しています。

1939年に、今度は脅迫で刑務所戻りになり、1年後に釈放されます。その頃にはウディ・ガスリーやピート・シーガーなど、フォークミュージックが次第に流行り始め、レッドベリーはそんな若いフォークミュージシャンの師として注目されます。ヨーロッパでのツアーも実施しましたが、完結する前に筋萎縮性側索硬化症にかかり、1949年12月6日、61歳でこの世を去ります。

今回紹介するジョン・ハーディーは、複数回録音をしています。今回のはギターを弾きながら歌っていますが、別でアコーディオンを弾きながら歌うものも残されています。

では和訳です。

John Hardy he was a desperate little man
He carried two guns every day
He shot a man on the West virginia line
Might have seen John Hardy getting away poor boy
Might have seen John Hardy getting away

ジョン・ハーディーは破れかぶれな奴だった。
毎日、奴は銃を二丁持っていた。
ウエスト・バージニアの州境で男を撃った。
もしかしたら奴は逃げてったかもしれない、
もしかしたら奴は逃げてったかもしれない。

John Hardy went up upon that freestone bridge
There he thought he would be free
Up stepped a deputy and he caught him by the arm
Saying Johnny come and go with me poor boy
Johnny come and go with me
Johnny come and go with me poor boy
Johnny come and go with me

ジョン・ハーディーはフリーストーンの橋に行った、
そこで自由になれると思ったんだな。
そこへ保安官がやって来て、腕尽くで奴を逮捕したんだ。
「ジョニー、俺と来るんだ。
ジョニー、俺と来るんだ。」

John Hardy had a mother and a father too
He sent for them to come and go his bail
There was not no bail out for a murdering man
They shaved John Hardy back in jail poor boy
And they shaved John Hardy back in jail
And they shaved John Hardy back in jail poor boy
They shaved John Hardy back in jail

ジョン・ハーディーは両親がいた。
親を呼んで、保釈の保証人になってくれと言ったが、
こんな人殺しに保釈金なぞ無かった。
髭だけ剃って牢屋に返したんだ。
髭だけ剃って牢屋に返したんだ。

John Hardy had a purdy little wife
That Mrs oh she wore what blew
She came to the jailhouse with a loud shout
She saying Johnny I've been true to you poor boy
Johnny I've been true to you
Johnny I've been true to you poor boy
Johnny I've been true to you

ジョン・ハーディーには可愛い妻がいた。
あの婦人は、とても綺麗な格好をしていた。
牢屋に来て、彼女は叫んだんだ。
ジョニー、私はあなたに正直でいるわ。
ジョニー、私はあなたに正直でいるわ。

John Hardy was standing in his cell
With tears a rolling down his eye
Ive been the death of a many poor boy
And now I am ready to die lord lord
Now I am ready to die
And now I am ready to die lord lord
And now I am ready to die

ジョン・ハーディーは牢屋に立っていた、
涙が瞳からこぼれ落ちた。
俺はたくさんの男を殺してきた、
俺はもう死ぬ覚悟は出来てるぜ、神様。
俺はもう死ぬ覚悟は出来てるぜ、神様。

Go ahead and die

死んでみろよ。

I've been to the east I've been to the west
I've been this whole wide world round
I've been to the east river and I've been baptized
Now take me to my hanging ground lord now
Take me to my hanging ground

俺は東にも、西にも行った。
世界中を回って来たんだ。
東の川で、洗礼を受けた。
神様、俺を故郷に帰してくれ、
神様、俺を故郷に帰してくれ。

こんな感じです。

人殺しの反省の歌です。

今日はこの辺でお時間です。

ではまた。

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