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2016年12月4日日曜日

Deep Purple - Black night

こんばんは、古い音楽をお届けする音楽文章ラジオのお時間がやって参りました。進行は、名久井翔太です。どうぞよろしく。

さて、また本日もYouTubeにカバーを投稿しました。アソシエイションのメッセージ・オブ・アワ・ラヴです。




前にもこの歌の和訳をこのブログに載せた時にも書きましたが、まずコードが難しいです。3番の始めのコードなんか、どれだけ指を拡げても抑えられないんですよ。エレキギターの方は3番の始めの部分だけ、ダブルトラックです。

間奏の所では、元の音源には琴の音が出てきます。琴なんて持っていませんから、アコースティックギターの音で代用しています。幸い、今住んでいる団地の両隣が空室なので、弾くことは出来ました。

そして間奏の終盤と終わりの所の、謎の音。ビームのようでもあるシンセサイザーの音ですが、それに近い音がGarageBandに入っていましたのでそれで表現しました。

そんな難しい事を1966年にやっているんですよ、アソシエイションは。信じられないと思いますが、この歌を始め、色々実験的な事はアソシエイションはやっています。

完成させるのに1ヶ月はかかったと思います。その間、GarageBandは休んだりしてこれだけ時間がかかりましたが、なんとか完成させました。是非最後までお聴きいただければ幸いです。

では洋楽和訳のコーナー、そしてあの歌のお名前何ァんてェのです。

今日の洋楽

今日はディープ・パープルでブラック・ナイトです。




↓の、UCC のブラック無糖のコーヒーのCMの歌でもお馴染みのナンバーです。



ディープ・パープル第2期メンバー全員がクレジットされています。第2期メンバーは以下の通りです。

1969 - 1973

• ジョン・ロード (Jon Lord, o)
• リッチー・ブラックモア (Ritchie Blackmore, g)
• イアン・ペイス (Ian Paice, d)
• ロジャー・グローヴァー (Roger Glover, b)
• イアン・ギラン (Ian Gillan, v)

ディープ・パープルはいわずと知れた、イギリスのハードロックバンドです。

元は、サーチャーズのドラマー、クリス・カーティスのラウンドアバウト結成がキッカケで、ジョン・ロードやリッチー・ブラックモアが集まりました。しかし当の本人、クリス・カーティスが、集まったメンバーとの人間関係が上手くいかなかったのか、行方をくらましてしまいます。そのため、ジョンとリッチーが残りのメンバーをオーディションで集めました。

オルガンにジョン・ロード、ギターにリッチー・ブラックモア、ベースにニック・シンパー、ドラムスにイアン・ペイス、ボーカルにロッド・エヴァンスという布陣で、バンド名を、昔の曲「ディープ・パープル」とし、1968年5月、アルバム「ハッシュ」の発売でデビューしました。

当時の音楽性としては、ジョン・ロードのクラシック路線とジョンの弾くハモンドオルガンが主流で、時折リッチー・ブラックモアがアドリブを織りまぜるというスタイルでした。しかし、ハードロック志向のリッチーが試しにハードロック路線で、アルバム制作し、発売された結果、世間に広く受け、ハードロック主体の音楽制作をするようになりました。そのきっかけとなった曲が「ブラック・ナイト」です。

1972年にも来日しています。それまでに、ディープ・パープルの人気は絶頂期に達しました。しかし、ツアーの連続による疲労と、スケジュールの不満により、メンバー間の不仲が浮き彫りになり、結果、第2期メンバーのロジャー・グローヴァー、イアン・ギランが脱退してしまいます。リッチー・ブラックモアも脱退の意思が固かったようですが、リーダーのジョンとイアン・ペイスに説得され、残留を決めました。

しかし、バンドの音楽性にソウルやファンクを持ち込むなど、ディープ・パープルの音楽性が揺らぐ事により、リッチーのバンドに対する興味がなくなり、結局リッチー・ブラックモアは1975年に脱退します。

リッチーの脱退により、バンド自体が混乱に陥り、1975年に行ったジャカルタでの公演で暴動が起こり、スタッフの1人が殺害されてしまいます。また、同年来日ライブでは、その時メンバーだったトミー・ボーリンの左腕がヘロイン注射のため麻痺し、終始スライドギターを演奏するという、バンドにとっては「演奏力が落ちた」という批判を受ける結果となりました。

翌年、デイヴィッド・カヴァーデールが脱退の意思を伝えたり、グレン・ヒューズも別バンドで活動したいと言い出したり、ギターのトミー・ボーリンもソロ活動をするために脱退し、どうにもこうにもならなくなったディープ・パープルは1976年をもって解散します。

1984年に、第2期メンバーが集まって再結成します。リッチーは当時レインボーのギタリストとして活動していましたが、リッチーが引き抜きにあったレインボーは解散に追い込まれます。同じように、ホワイトスネイクのオルガニスト、ジョン・ロードを失ったホワイトスネイクも解散します。

しかし、この間にまたリッチーとイアン・ギランが不仲になり、リッチーは来日目前の1993年11月に脱退します。その後のディープ・パープルには関わらなくなりました。

また、ジョン・ロードも体力的な問題で2002年に脱退します。

現在のディープ・パープルのメンバーは以下の通りです。また、このメンバーで今年の5月来日しています。

• ドン・エイリー (Don Airey, k)
• スティーヴ・モーズ (Steve Morse, g)
• イアン・ペイス (Ian Paice, d)
• ロジャー・グローヴァー (Roger Glover, b)
• イアン・ギラン (Ian Gillan, v)

尚、リーダーのジョン・ロードは2012年に、肺塞栓症になり71歳でこの世を去ります。トミー・ボーリンもソロ活動中の1976年にオーバードーズで早逝しています。

尚、元ボーカルのロッド・エヴァンスは解散中の1980年に無名のミュージシャンを集めてディープ・パープルを名乗ってコンサートを行いましたが、これがキッカケでディープ・パープルのマネジメントの会社がロッド・エヴァンスを訴え、672,000ドルもの損害賠償を請求される結果となり、以後、音楽界に姿を現さなくなりました。

そして、今日紹介するブラック・ナイトですが、元はリック・ネルソンの「サマータイム」のカバーを聴いて、冒頭のリフの参考にしたそうです。

このリフで良く聞くのが、ブルース・マグースの「恋する青春」のベースやオルガンのリフと似ている、という話がありますが、リック・ネルソンのサマータイムを聴いてビックリしました。基本のキーも同じだし、ここまで似る事があるのかと思いました。

では和訳です。

Black night is not right
I don't feel so bright
I don't care to sit tight
Maybe I'll find on the way down the line
That I'm free, free to be me
Black night is a long way from home

暗い夜は俺には合わない、
俺には明るく見えない。
しっかりと座るのも構わない、
俺は自分らしく生きるための方法を、
この道の先で見つけるだろう。
暗い夜、家から遠い所にある。

I don't need a dark tree
I don't want a rough sea
I can't feel, I can't see
Maybe I'll find on the way down the line
That I'm free, free to be me
Black night is a long way from home

暗い木なんていらない。
荒れている海もいらない。
何も感じないし、何も見えない。
俺は自分らしく生きるための方法を、
この道の先で見つけるだろう。
暗い夜、家から遠い所にある。

Black night, black night
I don't need black night
I can't see dark light
Maybe I'll find on the way down the line
That I'm free, free to be me
Black night is a long way from home

暗い夜、暗い夜、
俺は暗い夜はいらない。
暗い光なんて見えやしない。
俺は自分らしく生きるための方法を、
この道の先で見つけるだろう。
暗い夜、家から遠い所にある。

こんな感じです。

暗い夜なんて好きじゃない、という歌です。

今日も長話になりました。この辺でお時間です。引き続き、特集のクリスマスソング、通常の洋楽和訳のリクエスト募集中でございます。そこまでマイナーなものはご存知ないという方でも、「そんな雰囲気の曲で良いのはない?」みたいなフンワリした感じでも構いません。ある方はコメント欄に記入よろしくお願いします。

ではまた。

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